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平成17年7月市議会議員選挙が行われ無事4回目の当選を果たしました。上位での当選でした。支援者の皆様に心より感謝を申し上げます。さてその後、臨時議会が召集され全てのポストが選挙により争われました。私は2年前に議長選に立候補し惜敗をしていますので今回は何が何でも議長の当選を勝ち取る為に市民各議員お願いをし、再度立候補いたしました。ここ数年保守系が一本化できず議長選は2日がかりの議長選でしたが、幸い今回は初日の午後5時に一本化され共産党を除く20名の議員の賛同を得て満票で当選させて戴きました。万票が故えに今後の議会運営が円滑に行わればと心に決めました。
議長就任後ただちに都市計画税の導入、美田前市長は9月議会で議決との事でしたが、私は説明責任があるとの事で何とか先送りし、12月議会で議決いたしました。(1.5%)税率の問題で大変苦労しました。その間、人事では教育長が榎本氏に決定し、新年を迎えて3月議会、議会事務局人事に入りました。前局長(竹内氏)とは3回の定例議会でしたがベテラン局長でしたので安心して議会運営が出来ました。(局長定年退職)
新しい局長人事では4月より11市からなる四区議長会・会長市になる為に部長クラス(対外的に)をとの事で人選に苦慮いたしました。(部長退職者が多く)1年後に退職する新局長(千ヶ崎氏)と議長(石崎氏)をセットで議会事務局に招きました。(議長は今後数年局長職が勤まる人材)その用る人事でしたので2ヶ年間の議長職で3人の局長に支えられる身となりました。(過去にも今後にも無いと思います。)
5月議会も無事終わり、新局長(千ヶ崎氏)と事務局職員の下で11市からなる四区議長会 会長に就任しました。芸は身を助けるとの諺がありますが、私はゴルフが好きでそれなりに上手でしたので四区議長会会議に行ってもゴルフが上手な岡庭議長で各市の議長 局長も私をよく存じでしたので会長職も人間関係もスムーズに行えました。四区議長会長としての兼職として、県議長会副会長、関東議長会理事、全国議長会評議委員に就任しました。この様な役職を戴き多忙な多忙な日々が続き、その間、6月議会・9月議会が無事終了し、三郷市長選へと進みました。
同僚議員が立候補で保守系議員が分かれて気まずい選挙でした。私の支援した前市長は惜敗でした。私はA級戦犯として多くの市民に謝罪し恒例の明生会の忘年会・新年会を行いませんでした。
新市長(木津氏)誕生後、自由民主党議員団が割れて、私達は新たな会派21世紀クラブを作りました。7名の賛同を得ての誕生となりました。
新市長のもとで12月議会が開催されました。焦点は副市長人事でした。(前助役は退職)21世紀クラブは根回しがないとの事で難色を示した結果、議場にて他会派より議案の取り下げが有り副市長人事は先送りとなりました。その後3月議会にて再度副市長人事が提案されました。21世紀クラブとしては難色の意見もありましたが13万市民を思えば否決は出来ないとの結論になり賛成し新副市長が誕生しました(山崎氏)
19年4月より新たに南部議長会会長に就任(3市1町)この2ヶ年間 天皇拝謁、秋篠宮家親王誕生記帳、つくばエクスプレス開業式典、武蔵野操車場跡地地鎮祭(三井不動産)、スカイパークオープン、上田県知事への要望書提出2回(流山新橋・スカイパーク) また、2ヶ年間に選挙が5回、衆議院選挙・知事選挙・参議院選挙・県議会選挙・市長選挙が行われました。その都度大変汗をかきました。
大変激務の2ヶ年間でしたが明生会後援会、多くの市民、市の幹部職員、同僚議員(特に副議長)そして議会局長職員に支えられ無事2ヶ年間が務めることが出来ました。これも身が健康で有ったからだと思います。過日家族で議長退任祝いを行いまいした。多くの市民の皆様に心より感謝を申し上げ退任の挨拶と致します。
追伸
新議長(中村孝純氏 21世紀クラブ)誕生、事務引き継ぎが終わり新市長には健康に留意し市政進展にご努力下さい。 |
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